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背後霊の原田源次郎さんとの通信

また12月8日が来ます。

自分は1航戦、空母赤城所属の制空隊員として当時まだ若年搭乗員の一飛兵(一等飛行兵)でしたが参加を許されて第一次攻撃隊の制空隊に零戦21型に乗って真珠湾攻撃に参加しました。

短銃身にドラム型弾倉(装弾数60発)の九九式20粍1号銃装備の21型です。

自分は大正12年生まれで、予科練を志願して真珠湾空襲時には18歳でした(って言うのは嘘です😆)

でも、僕は戦争中に生まれてないはずなんですけど、真珠湾攻撃の情景とかミッドウェー海戦の時の記憶とか鮮明に覚えてるんです。

だから、たぶん僕は当時の零戦隊員だった人の生まれ変わりで、前世の記憶が残ったまま生まれちゃったんじゃないかなって思うんです。

その人は戦争を生き延びたんですけど予科練出身の志願兵だった為に、戦後はパージされて社会からも志願兵だと言う事で冷たくされて、国民学校を出てすぐに予科練に入ったから社会の事も分からなくて世間知らずだったから戦後は凄く大変な苦労をしたそうなんです。

それで屋台の焼き芋屋さんをしたらしいんですけど、焼き芋の屋台を引っ張って東京新宿区の余丁町から若松町に行こうとして屋台を引っ張っていたら東大久保の僕の家の近所でトラックに撥ねられて死んじゃった、みたいな人がいて、その人が死んだのが僕が生まれる3日前とかで、それで、僕がその人の生まれ変わりだったりして、とか思っちゃってるんです。

この人が僕の背後霊に成ってくれている人で原田源次郎さんて言う人です。

だから、この文章は、その人の霊との通信と言う形で僕が頭の中で会話した物を書いてますから、そう言う方向性で宜しくお願いします...

「...僕たちのように戦争経験がある者でも、自分が参加した作戦の狭い範囲の事しか分からないんだよ」

「僕たちが真珠湾を攻撃する1時間前に陸軍の山下閣下の指揮する第25軍がマレー半島コタバルに敵前上陸を敢行して英軍と銃火を交えていた事や、母艦航空隊の真珠湾攻撃の約7時間後に台湾の基地から発進した我が海軍航空隊が比島クラークフィールドの米軍航空基地を空襲した事など知らなかったんよお」
「なるほど...」

「まあ、僕も真珠湾攻撃時には若(ジャク👉若年兵)だったけど、その後実戦の経験を積んで、ミッドウェー海戦、ガダルカナル攻撃の『い号作戦』、南太平洋海戦、フィリピン航空戦と戦ったんだよ」

「内地に戻ってからは源田実大佐の指揮する343航空隊に行って紫電改で戦ったんだよね」

「源次郎さんは敵機を何機くらい撃墜したんですか?」
「防衛庁に残ってる公認記録では10機。グラマンが多いけどP40とP38を2機ずつに、F4Uを1機墜とした。あとは全部グラマン」
「マジっすか、凄いっすねえ」

「まあ、運が良かったよ。生き残ったのは運だと思うよ。それで、運良く九死に一生を得て、捨てたはずの命を拾って生き延びたんだよ」

「戦後の混乱期は食べる事、生き延びる事に必死だったんだけど、戦後10年経った昭和30年くらいから(あの戦争は何だったのか?どう言う戦い方をして、どう言う風に日本は負けたのだ?)と言う事が知りたくなって、戦史の研究を始めたんだよね...図書館に行って防衛庁の資料とかを読んだりしたんよ...」
「なるほど...」

「そうすると、大本営の作戦の主目的は南方作戦でマレー、香港、シンガポール、蘭印のスマトラや比島などだったと言う事が分かったんだよ」

「考えてみたら当たり前の話だよな。日本は東南アジアに出て行って米英蘭の植民地軍を追い払って大東亜共栄圏を作ろうとしたんだからさあ...」

「東南アジアの資源地帯を押さえて自給自足の態勢を作らなければ資源が無い国だから戦争を戦う事が出来ないんだからさあ...」
「おっしゃる通りです」

「だから真珠湾奇襲の南雲部隊以外の日本の軍隊は陸軍も海軍もみんな南方に行ってんだよ...」

「大本営にしてみたら真珠湾奇襲は(わがままな山本がうるさいから、仕方ない、やらせるか)くらいの気持ちで、主作戦は南方作戦だったみたいな気がするんだよな」
「山本さんは軍令部を脅したりして強引な人でしたからねえ...」

「海軍の作戦で言えば比島の米軍航空兵力を撃滅する比島空襲、航空撃滅戦の方が重要だったと俺は思うんだよな...」

「奇襲のやりっ放しで1発ぶん殴ったらすぐに逃げて引き揚げて来る真珠湾攻撃と違って比島の米軍航空兵力は日本が東南アジアに出て行く場合に最大の脅威に成るからな、これを放って置いたら海軍の船も沈められるし輸送船が沈められたら陸軍への軍需物資の輸送が出来なくて陸軍も負けちゃうからなあ」
「なるほど、勉強に成ります」

「南雲機動部隊の緒戦の派手な戦い振りから南雲機動部隊が注目を浴びたけど、日本の戦略としては台湾からフィリッピンへと駒を進めて、マレー半島、蘭印、仏印などの東南アジアの広大な地域の制空権を確保する事の方が大事だった訳だよ」

「その第1撃が比島のクラーク基地空襲だよ。台湾南部の基地からクラークまでの距離は450浬(カイリ、バーチカル・ノット👉450海里は約840キロ)もあって戦闘機の航続距離から言って空母を使わないで台湾の陸上基地から渡洋爆撃を仕掛けるのは無理と言うか常識外れの距離だった訳だ」

「しかし、空母は南雲さんの部隊が使うから陸上基地からの渡洋爆撃をするしか無かったんだよ」
「なるほど」

「足(👉航続距離)の長い陸攻隊は問題が無いんだけど、制空隊及び直掩隊の零戦の航続距離が苦しい訳よ」
「なるほどねえ...」

「クラーク空襲に参加する第三航空隊及び台南航空隊ではACレバーを調節して燃料を節約して飛ぶ訓練を必死に行なって作戦を見事に成功させたんだよ」

「南雲機動部隊は敵の戦艦はやったけど空母が居なかった為にやってない事と、ドッグの修理施設や燃料貯蔵所などを撃ち漏らしてやってないんだよ」
「空母居なかったですね」

「これは南雲さんに連合艦隊司令部が『南雲さん、日本は国力が乏しいですから、成るべく艦(ふね)を沈められないように頼みます』って言った為に南雲さんの頭にそれが強く残って『反復攻撃の要あり』って言う部下たちからの進言を退けて『泥棒でも帰りは怖いものだ』とか言うセリフを言って反復攻撃をせずに引き返しちゃったんだよなあ....」

「これが山口多聞さんや角田さんだったら踏みとどまって第5次、第6次攻撃隊まで出して徹底的にやってたかも知れないですよね」
「そうなんだよな、まあ南雲さんの性格もあるのかなあ、俺なんかは下っ端の兵隊だったから良く分かんないけど、ミッドウェーの時にも正攻法に拘ったりして真面目な性格の人だったみたいだなあ」

「まあ、派手な手柄は南雲さんに譲ったけど実際に緒戦の日本の勝ち戦に貢献した度合いはフィリピンを空襲したり、イギリスのプリンス・オブ・ウェールズとレパルスを撃沈した基地航空隊の方が貢献してる気がするな」
「プリンス・オブ・ウェールズとレパルスを沈めないで行かせちゃったら山下兵団の人たちが乗ってる輸送船がやられて大変な事に成ってましたよね」

「そうだよなあ、山下大将が乗ってる輸送船を沈められて山下閣下を泳がせたりしたら海軍の責任者の塚原さんなんか切腹モンだよなあ...おっと、危ねえ、もうこんな時間かよお?」
「何スか、その時計?ドクロ💀が1杯付いてますけど...」
「霊界時計だよ、これ」

「俺、定期券今日までなんだよ」
「何スか、定期って?」
「霊界と人間界を結ぶ連絡トンネルの通行料の定期なんだけど有効期限、今日までなんだよ、日付け変わっちゃったら検札来た時にキセル扱いされて3倍バップの金取られちゃうからさあ、そろそろ俺帰るよ...」
「あざっす、今日は勉強に成りました。またお話聞かせて下さい」

「うん、じゃあ帰るね。カルピスご馳走さん」
「押忍っ!失礼します!」

って言う事でさきほど源次郎さんがお帰りに成りました。

それで、源次郎さんとの会話を僕が今ブログに書いたところです。

源次郎さんはカルピスが好きなんです。
カルピスって戦時中からあったそうです。
三ツ矢サイダーも戦前からあったそうです。

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